針ジャニスは先端恐怖症。指をさされるだけでも「うぎゃあ」だし、傘の先を向けられても「うひぃ」だし、 針の先なんかもちろん厳禁、包丁の先ももちろんアウトだ。 例えそれが尖ってなくても、棒状の何かの先が既にダメみたいなのだ。 これは小さい頃からそうで、原因なんてわかんない。 ただ、これをやられると、理由もなく「ぎゃああああああ!!」と叫びたくなったり、 眉間あたりがムズムズして暴れたくなったり、いきなり臨界点を突破して泣いてしまったりする。 この、本来は自分にとって恐怖の対象であるものを、私は自分を攻撃する武器として持ち替える。 自分を罰する武器として使う。私の身のまわりには、必ずどこかに針がある。 私は針の先を腕に押し当て、力をこめて1本の筋を引き通す。 刃物はまだ使った事がない。怖いし、私は血が見たいわけではないからだ。 自分が自分を憎い分だけ、自分が自分を許さない分だけ、 自分が人を傷つけた分だけ、自分が不要品として産まれた事実を残すため、 様々な理由で、私は自分の腕に線を引いてゆく。 自分に痛みを与えるため、自分に傷をつけるため、自分を殺す代償行為として。 誰も殺してくれないなら、自分でやる。 誰も痛みを与えてくれないなら、自分で与える。 誰も傷を残してくれないなら、自分でつける。 私は罪人である。誰かに頼めばその人が犯罪者になってしまう。 だから、自分で自分を罰する。 血は流れない。猫の引っかき傷か、綺麗なみみず腫れにしかならない。 それでも、いつか、ぱっと見に解る傷跡が残るようになるのだろうか。 それとも、いっそ刃物で切ってしまえば、その恐ろしさに、その痛みに、私はそれをやめられるのだろうか。 私は自分に価値を認められない。 私は不要品として産まれた。 中島みゆきというアーティストに詳しい方は、 「やまねこ」と言う曲の冒頭部分に、似た部分があると思って下さってかまわないかもしれない。 私は娘として名乗り出てはいけない、実の父親と、その親族達にとっては、今となっては「いない存在」もしくは「いてはならない存在」である。 この痛みが腕に残るうちは、まだ針を手に取らずに済む。 それでも、私の中から私を裁く私の声が聞える。 もっと痛みを。まだ足りない。もっと罰せよと。 ジャンル別一覧
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